本日、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『サウルの息子』の批評をアップしました。
映画をご覧になった方や、批評を聴いて下さった方への補足として、以前に私がポーランド旅行の際に、アウシュヴィッツに訪れた写真をご紹介します。
(複写したものなので画質は結構悪いです。ご容赦下さい)
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の説明は、訪問当時(2011年)にガイドして戴いた中谷剛さんのガイドの内容と、国立オシフィエンチム博物館の案内書に基づきます。
現在のオシフィエンチムは静かな住宅街となっており、当時の凄惨な面影はありません
アウシュヴィッツの正門
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と上部にあるが、実際には虐殺施設だった
高圧電流の流れる有刺鉄線
収容者の中には自ら触れて死を選ぶ者もいた
ポーランド総督であったハンス・フランクの言葉、「ユダヤ人は完全に根絶やしにしなければならない人種である」
ガス室。部屋の上部には穴が開いており、そこから猛毒ガスが放り込まれる
ガス室から焼却炉は直通しており、死体はレールのついた滑車に積み上げられ、まとめて焼却された
ガス室での虐殺に使われた、猛毒「チクロンB」
けぶる中、地面に積み上げられた犠牲者の死体
処理しているのは『サウルの息子』で描かれたように、ゾンダーコマンド(ユダヤ人特殊部隊)である
積み上げられた犠牲者の眼鏡
義足の山
ナチは優勢学の基にユダヤ人のみならず、身体障碍者の自国民も虐殺の対象とした
(障碍者は劣った人間だと見做された)
収容者が到着する際に没収された旅行鞄
ナチは到着した収容者を安心させるために、「失くさないように」と鞄に名前と住所を書かせた
この鞄はクララさんだろうか
実際には収容者に鞄が戻ることはなく、虐殺後に貴重品はナチの懐に収まった
幼い子どもは労働力にならない理由により真っ先にガス室に送られた
積み上げられた犠牲者の靴
上部に見えるのは部屋の天井
靴が多すぎて天井すれすれまで積みあがってしまっている
収容者は腕に番号を刻まれ、名前は抹消された
収容者は服に印を付けられ、収容者ごとに区別された。『サウルの息子』でも描写されている。
ナチはこのように収容者を区別することで、収容所内に差別意識を意図的に作り、自分たちへの憎悪を回避していた
同性愛者の印も見える。つまりナチにとって同性愛者は人間として劣った存在だった
収容者の服。服には印が付けられている
収容者の靴は木靴だった。ポーランドの冬は極寒である(私は2月に訪れたが、革靴でも寒かった)
戦争末期では、収容者は一日に約200〜300kcalの食事しか与えられず、極度にやせ細った
(一般的な欧米の成人男性の一日の必要摂取量は2,600kcal)
この女性は死亡時には23kgまで痩せていた
かつての収容者が描いた絵
上述の通り、ナチは収容所内で巧妙に差別を作り出した
収容者にも上下関係があり、殴る者と殴られる者がいた
収容者の中で特別な技能を持つ者は優遇された
『サウルの息子』でもサウルが職人だったので、ドアの修理を命じられるシーンがある
楽器を演奏できる人間も同様だった
これもナチが作り出した差別の一種である
資料館には犠牲者の写真が掲げられている
写真は入所時に撮られる物で、写真の少年はアウシュヴィッツで1か月しか生き延びられなかった
わずか16歳だった
“死の天使”と呼ばれた医師、ヨーゼフ・メンゲレの犠牲者
その非人道的な研究からは、殆どなんの有用なデータも得られていない
収容所内の寝室。レンガ造りのベッドに藁を載せただけ
一つのベッドに何人も詰め込まれた
収容所内の簡易裁判所。但し、裁判は実際に行われなかった(弁護人がいない)。
政治犯は別の部屋に隔離された。
処刑や拷問の声を、別の棟の収容者に聴かせることで恐怖を植え付けていた
拷問の一つだった部屋。この部屋は極端に狭く、立つことを強制させられる。
死ぬまで立たされるという拷問
銃殺刑を行った通称“死の壁”
壁には小さな石が祈り為に置かれている(ユダヤ教の風習)
収容所内に作られたプール
プールは限られた収容者のみが使用でき、これもナチの差別を作り出す手法の一つだった
戦後、アウシュヴィッツ強制収容所の所長、ルドルフ・ヘスはここで絞首刑となった
ヘスは獄中で「命じられた役割を達成するために、仕方なく虐殺を見守るしかなかった」と証言している
ヘスの他にも多数のナチ将校が「命じられて仕方なくやった」と言い、責任を逃れようとした
ヘスは自身が多数のユダヤ人を虐殺した施設を見ながら、絞首刑に処された
アウシュヴィッツから少し離れた場所にあるビルケナウ・ブジェジンガ強制収容所
アウシュヴィッツよりも広大な収容所で、4棟もの焼却炉・ガス室が備え付けられていた
収容所に到着する貨物車には、収容人数をはるかに超える人々が詰め込まれ、移送中に圧死する人も多数いた
滑車の終点に一本の花が供えられていた
ビルケナウに設置された慰霊碑
石は祈りの為に訪問者が置いていった物
ガス室は証拠隠滅の為にナチによって爆破された
一部は、撤退するために急ぎ爆破しきれずに残っている
ビルケナウのレンガ造りのベッド
参考の為にPORTERのショルダーバッグを置いてみた
欧米の成人ならば絶対に足を伸ばせるスペースではない
『アンネの日記』の書いたアンネ・フランクも、一時期にはビルケナウに収容された
(後にベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送され、同施設で死亡)
現地での唯一の公式な日本人ガイド、中谷剛さん
(アウシュヴィッツでのガイドをするには厳しいテストをクリアする必要があり、
アジア人で同施設での資格を持っているのは中谷さんのみ)
どうしてもアウシュヴィッツを紹介してしまうとテンションが下がってしまうので、楽しい一面もご紹介
<楽しい国!ポーランド!!>
道端でアコーディオンを奏でるおじさん
見ていて楽しいクラクフの蚤の市
クラクフの中央市場広場は美しい!の一言
ワルシャワで訪れた映画館
ロビーがクソ広い。どんなに人が来ても絶対に混雑しないでしょう。
因みに、この時に観た映画は『アイ・アム・ナンバー4』というショボ映画。
ポーランドはノーベル化学賞を受賞したキュリー夫人の出身国。
キュリー夫人の博物館には、彼女が使った実験道具が展示されている
理系としてはテンションが上がる!
ワルシャワの王宮広場
東欧と西洋の間という絶妙な場所を感じる街並み
旧市街広場
この辺りは、世界大戦時に大きく破壊されたが、市民の努力によって再建された
今はカラフルな色合いが美しい街並みへと復活した
ショパンはポーランド出身の作曲家。
その心臓は現在、ワルシャワの聖十字架教会に保存されている
(ナチ→ソ連とその心臓は祖国を離れ奪われていた)
ポーランドは支配者への反逆の歴史で作られてきた
詳しくはアンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』を観ましょう
これは「ゲットーの英雄の碑」
ワルシャワ蜂起のモニュメント
近くにはワルシャワ蜂起の博物館もあり、市民にとってどれだけ歴史あるものかが良く分かります
ワルシャワ郊外にある要塞、ツィタデラ。
帝政ロシア時代に、多数の政治犯がここに収容され、また処刑された
入り口には犠牲者のお墓が延々と並んでいる
通称“死の門”。この門をくぐると収容者は二度と出られないと言われた。
やっぱり最後は少し暗い写真が多くなってしまいましたが、ポーランドは大変観光客に親切な人が多い国です。(英語が余り通じない国なのだけど、それでも丁寧に色々教えようとしてくれる)
是非一度は訪れてみて下さいね!