2016年04月03日

アニメ放送記念? いま一度『僕のヒーローアカデミア』の主人公・緑谷出久を読み解く

今回は久々に漫画について更新したいと思います。
以前に私はジャンプで連載されている『僕のヒーローアカデミア』(以下ヒロアカ)を紹介したことがあってですね。あの時は、まだ連載が始まって間も無い頃で、「打ち切りの可能性もある」なんて書きましたが、その後、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、第1回「次にくるマンガ大賞」1位に輝きTVアニメ化(2016/4/3〜)もされる程の人気っぷりを見せています。

……が、しかし。最近、ネットやTwitterでは現在の『ヒロアカ』の展開に少なからず違和感を抱いている方が多いようなのです。批判が多いのは、人気作の宿命とは言え、私としてはその批判に「そうかな?」と疑問を持ってしまったので、今回更新することとしました。先ず、多数の方が抱いている違和感・批判点はざっくりと言えば次のようなものです。

「主人公・緑谷出久の行動に共感できない」

主人公と言えば、その物語の核となるのは勿論のこと、読者が感情移入する一番の対象です。読み手がいかに主人公に感情移入できるかが作品の良し悪しを決める場合もあると言っても過言ではないでしょう。
また、主人公というのは、謂わば作者の分身です。私の尊敬する方の名言で、「小説は所詮フィクションだという奴はアホだ。主人公は作者の生き写しなんだから、彼らは本当に存在したのだ」という素晴らしい言葉がありますが、主人公というのは作者が伝えたい、その物語のテーマ性を具現化しているとも言っていい。例えば、バトルが血沸き肉躍る熱血漫画なら、主人公も熱血であるべきで、作品のテンションが高いのに、主人公はクールキャラというのはいかにもマズイ。
その様に、主人公は物語の基礎とも言える存在であるのに、『ヒロアカ』では「主人公に共感できない」という意見・感想があちこちで散見されるのです。これは何としても誤解を解きたい。

さて、いきなり上記に反しているのですが、私は『ヒロアカ』の主人公・緑谷出久は決して感情移入し易い主人公では無いと思うのです。ですが、少年ジャンプ漫画の主人公には、有名どころでも感情移入が難しいキャラクターは沢山います。

例えば、鳥山明先生の『DRAGON BALL』の孫悟空。悟空の行動原理は、幼少期から成年に至るまで一貫して「強いヤツと戦う」と言っていいでしょう。悟空は戦闘でボロボロになろうとも、強者と戦う欲望を抑えられないキャラクターです。
『DRAGON BALL』では悟空の永遠のライバル・ベジータが初めて地球に侵略しに来た時、その死闘により、悟空とその仲間たち、ベジータ両者共に瀕死の状態に陥ったことがありました。宇宙船で命からがら逃げようとするベジータに、クリリンが止めを刺そうとしたとき、悟空は「今度は一対一で正々堂々と戦いたい」と言って、クリリンを説得します。この場面、悟空の「強いヤツと戦う」という行動原理が如実に現れているシーンですが、悟空に感情移入できる人は少ないでしょう。なぜなら、ベジータは地球に侵略した際、数多くの地球人を殺戮した上に、悟空の仲間も殺されてしまっているのですから。



他の例では、尾田栄一郎先生の『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ。ルフィの行動原理は、まあ「ワクワクした冒険がしたい」と言えます。ルフィの目的は“ひとつなぎの大秘宝”ワンピースを見つけることですが、麦わらの一味のクルーであるウソップが、世界の秘密を知るレイリーに「ラフテルにはワンピースが本当にあるのか?」と聞こうとするのを遮り、「つまらねぇ冒険ならおれはしねえ!」と窘めます。「ワクワクした冒険がしたい」、これがルフィの行動原理です。
しかし、私たちは「ものすごく危険だがワクワクする冒険の道」と、「安全だがそこそこ平穏に暮らせる道」があれば、大抵の場合は後者を選択するのではないでしょうか?どんな時でも、ワクワクを優先するルフィもまた、感情移入し易いキャラクターとは言えません。



では、『ヒロアカ』の場合はどうでしょうか?『ヒロアカ』の主人公・緑谷出久の行動原理は、「人を救(たす)ける」に尽きます。(堀越先生が意図的に“救”の字を当てているのでそれに従っています)
第1話「緑谷出久:オリジン」では、出久は特殊能力を持たず、救けられる見込みなど那由多の彼方であるにも関わらず、友人(というか自分を苛めているいじめっ子)を救ける為にヴィラン(悪役)に立ち向かいます。その姿勢を買われ、オールマイトから特殊能力を譲り受けることになるのですが……。
この第1話は非常に重要なエピソードです。出久の本質そのものと言っていいでしょう。出久は「人を救ける為ならば、どんなに敵が強大であっても、自己を顧みず行動できる」から、“緑谷出久”足り得るのです。
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第1話より

また、堀越先生は、「ヒーローのかっこよさは、戦闘ではなく、人を救けることにある。だから主人公もウジウジ迷わずに、他人を救けに飛び出せる奴」という旨の発言を色々なインタビューの中でされています。つまり、「人を救ける」ことが行動原理の出久は作者の考えを具体化したキャラクターと言えるわけですね。
但し、私たち誰もが出久の様に行動できる訳ではありません。例えば、道端で超マッチョな悪漢に絡まれている人がいたとして、負けると分かっているのに立ち向かえる人は極々少数でしょう。そんなことより警察を呼んだ方が合理的だからです。そういうことで、出久も決して感情移入が容易なキャラクターとは言えません。

少し話が逸れてしまいますが、ジャンプで連載している漫画の主人公が皆、感情移入が難しいキャラクターかと言うとそんなことは勿論ありません。例えば、『背筋をピン!と』という作品があります。現在、『ヒロアカ』と同じく、週刊少年ジャンプで連載中の、競技ダンス部を描いたスポーツ漫画で、第2回「次にくるマンガ大賞」の1位に選ばれる等、注目されている作品ですね。私も毎週楽しく読んでいます。


この作品の主人公・土屋雅春は非常に感情移入し易いキャラクターと言っていいでしょう。彼は競技ダンス部の経験ゼロの男の子です。大抵の読者は競技ダンスの知識は持っていないでしょうから、主人公と同じ初心者の目線となり、主人公に容易に感情移入できます。
また、この作品はざっくり言って(現在のところ)、主人公に関しては「競技ダンスが面白くて堪んない」というところまでしか描いていません。彼は今、競技ダンスを習いたてなので、新しい技や動きを覚えるのが楽しくて仕方が無い状態です。誰しも、習い事などで、新しい技術を習得していくときの充足感には身に覚えがあるでしょうから、矢張り主人公に共感し易いのではないでしょうか?

同じ「競技ダンス」という題材を取り扱った作品ですと、こちらの方が先行ですが『ボールルームへようこそ』という作品があります。


ダンスシーンの迫力ある描写が特徴的な漫画ですが、こちらも主人公はダンス経験無しの初心者だった少年、富士田多々良です。この作品では、「始めたばかりでダンスが楽しい」という初心(うぶ)な部分は少なく、パートナーとの相性の問題や、自分の表現力に悩む描写など、どんどんダンスとの向き合い方に苦悩する様が描かれていきます。趣味でも仕事でも、のめり込めばのめり込むほど、「楽しい」という気持ちだけじゃやっていけないので、この主人公・富士田に感情移入できる方は多いでしょう。

思うに、魅力的な主人公を作るのはとても難しいことなのでしょう。主人公が平凡な性格ならば地味な作品になってしまい、破天荒な性格ならば読者の共感を得難い。
以前、『HUNTER×HUNTER』の富樫義博先生が、『ヘタッピマンガ研究所R(リターンズ)』という、マンガの描き方講座みたいな内容の作品の中で、ストーリーの構築法について「主人公がずっと上をゆく(思いもよらない)一手を打ち出す」と話されていました。


富樫先生の方法論では、主人公は周囲の凡百なキャラクター(転じて我々一般読者ともいえる)の解を超える解を提示するので、主人公としての“格”が保たれるということですね。確かに『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンなどはその最たる例でしょう。
つまり、主人公は読者の感情移入を全く妨げる存在でも駄目だし、読者(凡人)そのものになっても駄目なのです。非常に難しいバランスで成り立っている。

話が大いに横道に逸れてしまいましたので、『ヒロアカ』の話に戻します。

最初に、ここ最近、多数の「主人公・緑谷出久の行動に共感できない」という意見が出ていると書きました。
確かに、ここ数週の週刊少年ジャンプにおける出久の行動の無茶っぷりには度胆を抜かされることばかりです。だって、出久は度重なる戦闘で体がどんどんぶっ壊れていくのに、他人を救けられるなら、と自ら戦場にどんどん突き進んでいくのです。多分、読んでいる多くの方が「もうこれ以上無茶して自分の体を犠牲にしないでくれ!」と思ったでしょう。私もです。
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手や足がバッキバキに骨折して壊れても、人を救けるために戦うのを止めない出久。
そのあまりのイカれた覚悟っぷりに一部では「デクさん」と、さん付けされている。


でも、改めて出久の行動原理を思い出して頂きたいのですが、「どんなときでも救けるを優先してしまう」から、緑谷出久は緑谷出久足り得るのではないでしょうか。

例えば、『DRAGON BALL』の悟空が、強いヤツに勝てそうにないから逃げたら、どうでしょう?例えそれが理にかなった戦略的退却であったとしても、悟空は悟空であるアイデンティティを失ってしまうと思いませんか。
『ONE PIECE』のルフィではどうでしょう? スリルがいっぱいある島を、素通り出来るルートが仮にあったとして、そちらをルフィが選択したら、読者はルフィがルフィでない様な印象を受けるのではないでしょうか。
『ヒロアカ』の出久も同じ様なタイプの主人公だと思うのです。自分の身を考えて、大人のプロヒーローにすべてを任せるという選択は、成程、実に合理的かつ実際的です。でも、そこで自分が救ける方に体が動いてしまうから、出久は『ヒロアカ』の主人公足り得るのでしょう。
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何故、悟空やルフィの行動原理を批判する人は少ないのに、最近の様に出久の行動を疑問視する人が増えているかと言いますと、これは邪推ですが、出久が2つの矛盾した性質を併せ持っている故だと私は思います。それは「共感」「反感」です。
出久は元々“無個性”だった少年です。この作品では、特に1話で“個性”というのは“才能”のメタファーとして描かれている様に思います。出久は無個性としての劣等感がとりわけ強い少年でした。これは非常に共感を覚えやすいキャラクターですよね。だって、我々一般人も、普通は「自分は特別な才能があるから人生ヨユー」なんて思っておらず、自分の才能の無さに悩み、苦しんでいる筈ですから。

逆に、出久は私たちの共感を遠ざける性質も間違いなく持っている。それは前述した通りです。どんな時も他人のために自己を犠牲に出来る人なんて、滅多にいません。
今の展開に納得できない方は、出久のキャラクター性を今一度思い出して頂ければ、非常に読み易くなるのではないかと思います。現実主義で考えれば、確かに出久は無茶な行動が目立ちます。が、しかし、理想主義で見れば、明らかに彼はヒーローそのものでしょう。それは“ヒーローとは何か?”という、『ヒロアカ』で度々取り上げられている解でもあります。
時には理想主義で作品を読むことだって必要ではないでしょうか。
悟空も、ルフィも、ゴンも、出久も、一般大衆である読者が取れない選択を容易に選択できるから、彼らは主人公足り得るのですから。

『僕のヒーローアカデミア』は週刊少年ジャンプで絶賛連載中。
展開が早い上に、まだ既刊8巻と大変集めやすいです。
まだ未読の方は、是非どうぞ!!!!

posted by 民朗 at 21:49| 漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする