2015年12月26日

民朗が選ぶ2015年小説ベストテン

今年も残すところ1週間を切りました。
もう私の読書ペースだと年内に読了する作品は無いなと思うので、今年の小説ベスト10を発表します。
今年はいつにも増して雑食的に色んなジャンルに手を出した年でした。また、何となくですが女流作家の本をたくさん読もうと努めた年でした。
以下「タイトル」(著者)です。
※注意
・新刊の年間ベストではありません。旧作というか古典も含みます。
・あくまで私が1年間に読んだ小説のベストです。お勧め作品くらいのニュアンスで受け取って戴けると良いかと思います。


2015年小説ベスト10

10位.「レインツリーの国」(有川浩)

聴覚障がいを持つ女性と、そこらへんにいる普通のサラリーマンの出会いと恋を描いたラブロマンス。この小説が凄い所は、まず文体というかストーリーが驚くほどに自然体なこと。本当に普通の若者同士の会話のやりとりにしか見えない。そんな文体でグイグイと物語を引っ張るんだから凄い。そして、終盤には“障がいって何なのか?”、“誰もがある種の障がいを持っているのでは?”というテーマに発展していく。

(名句抜粋)
聴覚障害者にしか聴覚障害の悩みや辛さは分からない。だから分かり合うことなどできないと思っていた。
だが、他人に理解できない辛さを抱えていることは健聴者も変わらないのだ。その辛さの種類がそれぞれ違うだけで。


9位.「舟を編む」(三浦しをん)

ザ・エンターテイメント作品。出版社で日陰者の集団が「辞書を作る」という目的を果たすべく奮闘するチーム物。先ず各キャラクターが変人揃いで、その一挙手一投足を見ているだけで面白い。そして読み進める内にいつの間にか、普段何気なく使っている「ことば」達が持つ意味を真剣に考えさせてくれる点が素晴らしかった。

(名句抜粋)
馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに古い記憶が呼び起されることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。


8位.「奇跡のひと ヘレン・ケラー自伝」(ヘレン・ケラー)

今年公開された映画『奇跡の人 マリーとマルグリット』が素晴らしかったので、折角ならオリジナル(?)の奇跡のひとの自伝も読んでみようと思って手に取りました。これも9位の『舟を編む』と同様に「ことば」が持つ力を強く感じた作品でした。なんせ、彼女はことばという存在を知るまでは、世界が文字通り闇に包まれていたのだから!

(名句抜粋)
私は、あたかも旧約聖書中のモーセのようだった。彼のようにエジプトを脱出し、シナイ山の前に立ったのだ。聖なる力は私の魂に触れ、多くの奇跡を目にすることができるよう、視力を与えられた。モーセが十戒を授けられたこの聖なる山から、声が響く。「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ」と。

要するに、文学は私のユートピアなのだ。文学の世界では、私はふつうの人と変わらない。障害があっても、本という友人との、楽しく心地よい会話から締め出されることはない。本は、恥ずかしがらずに、気さくに私に話しかけてくれる。私がいままでに学んだことも教えられたことも、かすんでしまうほどの大きな愛と慈しみを、本は私に注いでくれたのである。



7位.「ムーミン谷の彗星」(トーベ・ヤンソン)

誰でも知っているキャラクター、ムーミン。私はこれまでキャラクターとしてのムーミンを知っているだけで、小説やアニメには触れたことが無かったのですが、これがとても深い!特にスナフキンは名言生産機の様な存在で、ちょっとした台詞が胸に突き刺さりまくる。
(名句抜粋)
スナフキンはスニフのそばにこしをおろして、やさしくいいきかせました。
「そうだな。なんでも自分のものにして、もってかえろうとすると、むずかしいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしているんだ。そして、立ち去るときには、それを頭の中にしまっておくのさ。ぼくはそれで、かばんをもち歩くよりも、ずっとたのしいね」

ムーミントロールは首をかしげて、こういいました。
「ぼくたちが、特別に勇敢なのじゃないと思うよ。ただ、あの彗星になれてしまっただけなんだ。彗星と、なじみになってるくらいだもん。あれを知ったのは、ぼくたちがさいしょなんだ。しかも、あれがどんどん大きくなるのを見てきたんだ。彗星って、ほんとにひとりぼっちで、さびしいだろうなあ……」
「うん、そうだよ。人間も、みんなにこわがられるようになると、あんなに、ひとりぼっちになってしまうのさ」
スナフキンが、こういいました。



6位.「仁義なきキリスト教史」(架神恭介)

今年読んだ本で一番笑った小説。著者は週刊少年ジャンプの感想を書いたり、奇書「ダンゲロス」シリーズで有名な架神恭介さん。この小説のコンセプトは至極単純、キリスト教の歴史を『仁義なき戦い』風になぞってみようというもの。そんなアホな話があるか!と言いたいところですが、これが結構ハマって見えるので面白い。
例えば、有名なキリストの言葉である、「神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたか?(エリ・エリ・レマ・サバクタニ?)」 という一文は、本作においては「おやっさん……おやっさん……なんでワシを見捨てたんじゃあ!」 と、こう訳される。
まあ、キリスト教は暴力の歴史でもあるので、同じ暴力の歴史があるヤクザ文化とは意外に親和性があるのですね。『仁義なき戦い』シリーズがお好きな方なら、抱腹絶倒間違いありませんよ!
尚、キリスト教徒の方はハッキリ言って読まない方が無難です(多分腹立つから)。

(名句抜粋)
「見える。わしには見えるんじゃあ! ヤハウェ大親分の隣にイエスのおやっさんがおる姿が、はっきり見えるんじゃあ!」
これが決め手となった。彼らは耳を塞ぎ、大声で叫びながら一斉にステファノに襲い掛かったのだ。そして、町の外まで彼を引きずり出すと、石を投げて打ち殺してしまったのである。ステファノの断末魔の叫びもまた彼らの怒りに油をそそいだことだろう。
「おやじぃ。この阿呆どもを許してやってつかぁさいやァ!」

彼ら騎士たちはキリスト組やくざが吹聴する任侠道の他に、独自の特殊な任侠道を抱いていた。騎士道と呼ばれるものである。これは過激な攻撃性の礼賛であった。



5位.「ベートーヴェンの生涯」(ロマン・ロラン)

ハッキリ言ってベートーヴェンの一ファンであるロマン・ロランが、いかにベートーヴェンが素晴らしい人間であったかを力説している作品。明らかに主人公のモデルがベートーヴェンである『ジャン・クリストフ』も書いているし、彼の中でベートーヴェンは不朽のヒーローだったのでしょう。
生涯の殆どを孤独に過ごし、有り余る熱情をすべて音楽の創作に費やしたベートーヴェンの姿には、やはり強く心打たれるのです。

(名句抜粋)
善のために悩んだ偉大な魂の人々、雄々しい「友ら」の一群を人々の周りに据えようと私が企てるのは人々に助力を贈るためである。「卓越せる人々の生涯」のこの一群は、野心家たちの慢心へ語りかけるためではない。これらの伝記は不幸な人々に捧げられる。しかも煎じ詰めればいったい誰が不幸でないであろうか?悩める人々に、聖なる苦悩の香油を捧げようではないか。われらは戦いにおいて孤独なのではない。世界の闇は神々しい幾つかの光によって照らされた。

思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは心に拠って偉大であった人々だけである。彼らの中の最大な一人、その生涯を今ここに我々が物語るところのその人がいったとおりに「私は善(ボンテ)以外には卓越の証拠を認めない。」人格が偉大でないところに偉人は無い。偉大な芸術家も偉大な行為者もない。あるのはたださもしい愚衆のための空虚な偶像だけである。時が一括して滅ぼしてしまう。成功はわれわれにとって重大なことではない。真に偉大であることが重要なことであって、偉大らしく見えることは問題ではない。

そして彼らが力強さによって偉大だったとすれば、それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである。だから不幸な人々よ、あまりに嘆くな。人類の最良の人々は不幸な人々と共にいるのだから。



4位.「デミアン」
(ヘルマン・ヘッセ)

人生の生き方に悩む少年・シンクレールが、風変わりな友人・デミアンに出会い、そして自己の内面を解き明かそうとする物語。今年読んだ小説ではダントツに主人公の心情描写が見事というしかない作品でした。正直に告白すると、終盤の展開にはついていけず無理矢理読み切ったような感じでしたが、序盤から中盤にかけての人生・自己に対する深い考察の数々は、正に金言と呼ぶに相応しい。

(名句抜粋)
いまはじめて私は、自分が幾週ものあいだ秘密をいだいて、どんなにおそろしくひとりぼっちでいたかを悟った。同時に、いくども考えたことが頭に浮かんだ。それは、両親の前でのざんげは私をらくにするかもしれないが、完全に私を救いはしないだろうということだった。

つまり『禁じられている』のは永遠不変なものではなく、それは変わることがあるのだ。今日でも、いっしょに牧師の所に行って結婚すれば、女のそばに寝てもいいのだ。ほかの民族では今日でもまだ事情が違う。だから、われわれはめいめい、許されていることと、禁じられていること――めいめいに禁じられていることを見つけなければならない。禁じられたことをまったくなしえないで、しかも大悪者になるということはありうる。その逆もまた同様に言える。――実際はそれは気楽さの問題にすぎない!自分で考え、みずから裁き手になるには気楽すぎる人は、しきたりになっている禁制に順応する。そのほうが楽なのだ。

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。



3位.「草枕」(夏目漱石)【再読】

過去に一度読んでいたのですが、何となく久しぶりに手に取ってみたところ、作品に対する今までの印象が大きく変わっていて驚きました。映画でもそう感じることはありますが、読む年齢や環境によって、作品の印象が大きく変わることがあるのですね。
本作は一種の芸術論を延々と語る内容になっており、その一文一文が宝の山!
漱石は『私の個人主義』という講演集に入っている「道楽と職業」という題の講演の中で、卓越した芸術論を展開していますが、その論を物語に落とし込めたのが本作と言えるかも知れません。

(名句抜粋)
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)で、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

恋はうつくしかろ、考もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風(つむじ)に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚に上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。



2位.「姑獲鳥の夏」(京極夏彦)【再読】

去年、同著者の『陰摩羅鬼の瑕』を読んだのですが、著者のデビュー作である本作に非常に似た形式と内容を取っていたので、懐かしくなり読み返したくなったのが再読した切欠でした。
ミステリの定石としての「探偵」、「密室」等の要素を根こそぎから覆すそのアンチミステリへの拘りは今読み返しても全く色あせることがありませんでした。それにしても量子力学と探偵論を結びつけるアイデアには何度読んでも舌を巻く。

(名句抜粋)
主体と客体は完全に分離できない――つまり完全な第三者というのは存在し得ないのだ。君が関与することで、事件もまた変容する。だから、君は善意の第三者では既になくなっているのだ。いや、寧ろ君は、今や当事者たらんとしている。探偵がいなければ、起きぬ事件もある。探偵などというものは、最初(はな)から当事者であるにもかかわらず、それに気づかぬ愚か者なのだ。


1位.「西遊記」(作者不詳)

超弩級の仏教・道教エンターテイメント。誰でも大筋は知っている中国四大奇書の一つですが、その実際の中身は残酷無比の冒険活劇。無数の漢詩を非常に読み易く日本語に訳している中野美代子女史の名訳がとにかく素晴らしいですが、巻末に附いている同女史による注釈が中国の風俗・歴史・宗教の一大ウンチク集になっており全く飽きさせません。読む前にさらっと仏教・儒教・道教の知識を入れておくと更に読み易い&面白いかも。
私の紹介記事はコチラ

(名句抜粋)

まずは詩を一首――
混沌はまだ分かれておらぬゆえ
天と地は渺茫(びょうぼう)なんにも見えず
盤古が卵を破ったその時から
天地はひらき清濁の別も生ず
生きとし生けるを育む仁は
万物をつくり善へとみちびく
創造の秘密を知りたいのなら
この『西遊記』を読みたまえ

皓魄(つき)は鏡のごと空にかかげられ
山河は影も揺らぎて照らさるる
瓊玉(たま)のうてなに清光満ちあふれ
冰銀のかがみに爽気めぐりなん

教わらずして善をなすは、これ聖。
教わりてのち善をなすは、これ賢。
教わりても不善をなすは、これ愚。


皆様の作品選びの一助になれば幸いです。
映画のベストに関しては、年内にまだ一本くらいは観ようと思っているので、また後日発表します。
posted by 民朗 at 22:32| ランキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする