2014年04月25日

民朗の本オールタイムベスト10+α

参考までに私の本のオールタイムベスト10を載せておきます。
暫定的なベスト10でありますので、今後変更するかも知れません。
以下、「作品名」(発表年)
   ― 作者名
     出版社名です。
※本には小説のみならず、自伝的作品も含みます。
※海外作品については訳者によって作品の印象が大きく変わります。
  載せてある出版社が私の好きな訳となります。
※短編については、その短編を含む短編集を載せています。

1.「レ・ミゼラブル」(1862年)
   ― ヴィクトル・ユーゴー
     岩波文庫(豊島与志雄 訳)


フランスのロマン主義を代表する傑作中の傑作。長大な大河小説でありますので、細かなディテールを示して「ここが良いんだ!」とは説明できませんが、この小説はヴィクトル・ユーゴーが、人間の愚かさ・弱さ・哀れさを描きながら、それでも人間を信じたいという人間への信頼があったからこそ、上梓したのだろうなと思います。
文庫で計2,000項をも超える文章で、数多くの登場人物の背景や心理を丁寧に描くからこそ、志高い者たちが理想を胸に死んでいった瞬間に言い様のない喪失感を感じるのです。(逆に理想もなく信念もなく他人を陥れることばかり考えている人間は最後まで汚く生き残る。現実と同じですね)

短縮版や別の訳者による文庫も多々ありますが、
絶対に豊島与志雄先生による名訳の岩波文庫版をお薦めします。

(名句抜粋)
すなわち、ある方面において、社会的窒息が可能である間は、すなわち、言葉を換えて言えば、そしてなおいっそう広い見地よりすれば、地上に無知と悲惨とがある間は、本書のごとき性質の書物も、おそらく無益ではないだろう。 (序文より抜粋)


2.「夜と霧」(1947年)
   ― ヴィクトール・フランクル
     みすず書房(霜山徳爾 訳)


中学生の頃、京都の古書店で一冊の本に出会いました。それが本書でした。その時は中学生で、別に小説に詳しかった訳でもないので、その本が世界的名著だなんてことは当然知らず、その薄汚れた古書を取ったのは本当に単なる偶然(ハードカバーで1,000円と安かったから)でした。読み進めていく内に、その内容に途方もなく打ちのめされました。
フランクルは実存主義に傾倒する一介の心理学者でした。且つ、ユダヤ人でした。時は第二次世界大戦中、フランクルは一家共々ユダヤ人強制収容所に連行されます。そこでいかなる地獄を見たか、が心理学者の目から語られています。心理学者として、人間を観察することに努めないと生きていけない環境だったからです。
人間はどこまで残酷になれるのか、そして人間が生きるために必要なこと、人間性を根こそぎ否定されても残るものとは一体何か。読み進めるのがこれ程辛い本も中々ありませんでしたが、未読の方は是非一度は読んで戴きたいです。

初めての方には読み易い新版が薦められがちですが、
やはりこちらの厳粛で格調高い訳で読んで戴きたいです。
因みに、私が古本屋で買ったのは73年の第四刷。古っ!


3.「異邦人」(1942年)
   ― アルベール・カミュ
     新潮文庫(窪田啓作 訳)


不条理小説の代表的作品ですね。冒頭の「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」という一文は非常に有名。この小説を評するには、不条理性・実存主義・キリスト教的モラルなどが有力な材料になるのですが、それについて書く紙幅は無いので割愛します。
唯、一つ確かであり、私がこの小説が好きで仕様が無いのが、主人公が一切の社会的価値観を共有せずに、またそれに妥協せずに死んでいく点です。「こうならば、こうあるべきだ」という、社会的(本作ではキリスト教的)モラル。理性主義の前にはそんなものには何の意味もない。でも、それでも主人公は社会的な悪として死んでしまう所にカミュの歪な、しかし正直なモラル性を感じます。


(名句抜粋)
君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。
〜(中略)〜
他人の死、母の愛―そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命―そんなものに何の意味があろう。



4.「蜘蛛の糸・杜子春」より「蜜柑」(1919年)
   ― 芥川龍之介
     新潮文庫


「日本で一番な好きな小説家は誰か?」と質問されれば、私は迷う事無く芥川龍之介を挙げるでしょう。当然、日本には他にも優れた小説が数え切れない位に居るでしょうが、私が「文章ってなんて美しいんだろう!」という感覚を初めて味わったのが、彼の『蜜柑』を学校の授業で読んだ時だったので、私にとって矢張り芥川龍之介という小説家は特別なんだと思います。『蜜柑』は本当に素晴らしい短編小説で、灰色だった景色が、鮮やかな橙色に変わる瞬間を読んでいる紙から感じます。紙から色が見えるような感覚、これって凄いと思います。
『蜜柑』は優しく暖かな小説ですが、芥川龍之介の人間の本質を抉る様な作品群、『羅生門』『偸盗』『河童』『地獄変』『歯車』等も無論大好きです。読んだ後、例外なく気が沈みますけど。


5.「ドリアン・グレイの画像」(1890年)
   ― オスカー・ワイルド
     岩波文庫(西村考次 訳)


これは本当〜〜に青少年にとって恐ろしい小説です。劇薬と言っても過言では無いと思われます。
世紀末文学の代表的作家、オスカー・ワイルド。彼の思想は快楽主義(エピクロス的なものではない)であり、その文章は退廃的なイメージに満ちている。そして、それが酷く魅力的に映る所にこの小説の恐ろしさの本質があるのではないかと思います。

この作品も、新潮文庫や光文社文庫からも出ていますが、岩波文庫版をお薦めします。

(名句抜粋)
「女が求めるものはすべてまず男に与えておいたものだといいたい」
重々しげに、若者はつぶやいた。
「女は男のこころに『愛』を植えつける。女はそれをとりもどす権利がある。」



6.「孤島の鬼」(1930年)
   ― 江戸川乱歩
     光文社文庫


江戸川乱歩は私の読書の入口になった小説家かも知れません。良くある話ですが、乱歩のジュブナイル小説『少年探偵団』シリーズが大好きだったのです。でもその時も、少年探偵団が明智小五郎の知恵を借りて、二十面相をギャフンと言わせる部分よりも、乱歩独特の一種異様な世界観、人非ざる者が飛び出して来たり消失したり、出口のないアンダーグランドに迷い込んでしまったりする恐怖感を楽しんでいた覚えがあります。
数年後、大人向けの乱歩作品を読んで仰天しました。そこには乱歩の座右の銘「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」をそのまま映したような悪夢的世界の遊園地でした。ぶっちゃけ乱歩を読んでると「不謹慎だなー」と思うことも多々あるのですが、そんな部分に否応なく惹かれてしまう魅力があります。好きなものは仕様がない。ホント不謹慎ですけど。
ベストは大変迷う所ですが、長編作品としての完成度が高い(乱歩の長編は尻すぼみで終わることが多い)『孤島の鬼』にしました。
乱歩は短編の名手なので短編には沢山傑作があります。特に推薦するのは、ありきたりですが『心理試験』『赤い部屋』『算盤が恋を語る話』『白昼夢』『屋根裏の散歩者』『ひとでなしの恋』『人間椅子』『鏡地獄』等でしょうか。
他の長編ですと活劇なら『大暗室』、割としっかりしたミステリなら『化人幻戯』、猟奇趣味なら『盲獣』がイチオシです。

光文社文庫版には細かな注釈が付いているので、他の文庫版よりこちらをお薦めします。

(名句抜粋)
地獄だ。闇と死と獣性の生地獄だ。
私はいつかうめく力を失っていた。声を出すのが恐ろしかったのだ。
火の様に燃えた頬が、私の恐怖に汗ばんだ頬の上に重なった。ハッハッと云う犬の様な呼吸、一種異様の体臭、そして、ヌメヌメと滑らかな、熱い粘膜が、私の唇を探して、蛭の様に、顔中を這い廻った。



7.「狭き門」(1909年)
   ― アンドレ・ジッド
     新潮文庫(山内義雄 訳)


御幣があるかも知れませんが、個人的に究極の“恋愛小説”。幼い頃から想い合っていたいたジェロームとアリサ。お互いに愛し合っていたにも関わらず、なぜアリサは若くして自ら死を選ばなくてはならなかったのか……。この小説の後半はアリサの手記がメインとなりますが、自己の出自とジェロームへの思慕の両方から苛まれ、狭き門をくぐり抜けようとするアリサの苦悩には、つい「本当の愛とは何か」を考えざるを得ません。
※作者のジッドも天上の愛を求めた男でした。(奥さんはいたが、一切の性的交渉は神性を重視する故に持てなかった)

(名句抜粋)
それは自国語よりも外国語のほうが好きだとか、外国の作家にくらべて、わたしの尊敬するわが国の作家たちに遜色があるとかいったわけではない。ただ意味や感情をたどる場合の軽い困難、さらにみごとにその困難に打ち克ってゆくときの、自分でも気のつかない得意な気持ちといったものが、知識の上の楽しみに加えて、それなくしてはすまされない何かしら魂の満足とでもいったようなものをつけ加えてくれるからにほかならないのだ。
いかに幸福なことであっても、わたしには進歩のない状態を望むわけにはいかない。



8.「悪霊の館」(1994年)
   ― 二階堂黎人
     講談社文庫


私は中学生の頃から、所謂「本格ミステリ」にハマった時期がありまして、その頃は良くある話ですが、新本格の作家にぞっこんでした。その作家たちの中でも、幼い頃から江戸川乱歩の小説に親しんできた私が、二階堂黎人の魅力にどっぷり浸かってしまったのは必然かも知れません。
二階堂黎人は本当に「本格の鬼」と呼んで良い作家です。古今東西の推理小説を読み(しかも推理小説本場の英国のものは原語で!)、あらゆる密室トリックを研究しつくしている(確か鍵や錠の構造に拘るあまりピッキング技術をも習得しているとかどこかで読んだ気がする)、正に本格推理小説の鬼。
二階堂黎人の小説は基本的に過去の推理小説界の巨人に捧げるラブレターの様なものです。江戸川乱歩の猟奇趣味と、横溝正史の様式美を融合させ、自身の持つ古今東西の推理小説に関するトリビアをちりばめた、正にミステリファンのためのミステリ小説。代表作である二階堂蘭子シリーズが、風呂敷を広げ過ぎたために収集の兆しが一向に見えないのは残念ですが……。氏の言う「究極の密室トリック」をいつか読んでみたいものです。

9.「ジャン・クリストフ」(1904年)
   ― ロマン・ロラン
     岩波文庫(豊島与志雄 訳)


非凡な音楽の才を持った男、ジャン・クリストフが生まれ、死んでゆくまでを綿密な描写で描き切った大河小説。
そこには人生の限界への挑戦があり、一番素晴らしい芸術とは何ぞや?という芸術論があり、男女の愛に永遠はあるのかという恋愛論があり、革新を避け保守に縋る卑しい大衆への批判があり、ありとあらゆる人生への悲喜交々に満ちている。それは最終的に人間賛歌、人生賛歌へと繋がっていく。
本作はロマン・ロランという一人の男が、ジャン・クリストフという主人公を通して、全人類への激励である。絶対に読んで損はないと断言できる名著。

(名句は多すぎるので別に記事にまとめました。)


10.「魍魎の匣」(1995年)
   ― 京極夏彦
     講談社文庫


ミステリ界の歴史を変えた一冊を選ぶならデビュー作の『姑獲鳥の夏』で決まりなのでしょうが、個人的に一番好きなのは本作です(巷でも一番人気デスネ)。複数のエピソードが一本の糸に収束していくパズル的魅力、繰り返されるどんでん返し、私たち読者の倫理観を根こそぎから覆そうとする(京極堂風に言えば彼岸に連れて行こうとする)奇怪なストーリー、戦後初期に良く似合う猟奇趣味的世界、そして京極夏彦の根源としてある「アンチミステリ」としての姿勢。矢張り一本の小説として言うならば最も読み易く、且つ最も完成度が高い傑作であるという評価が妥当かと思います。

(名句抜粋)
そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など――こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。


11.「嵐が丘」(1847年)
   ― エミリー・ブロンテ
     岩波文庫(安倍知二 訳)


ゴシック小説の代表的作品。自らの出自により愛する女から拒絶された男・ヒースクリフの一世一代の復讐譚。

ここ数年に改訳された悪評の新潮文庫版より、絶対に岩波文庫版をお薦めします。


作ってみると何とまあ偏りのあるランキング。見る人が見れば趣向が一発でバレますね。
とは言え私が一生愛していくと決めている作品ばかりなので、もし未読の作品があれば是非読んでみて下さい。
posted by 民朗 at 22:13| ランキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする